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宮城県石巻市訪問2日目。みなさんの話を直接もっともっと、聞きたい、広めたい。そして継続的な支援を。

石巻訪問の2日目のまとめです。初日の内容はこちらにあります。

宮城県石巻市訪問初日。被災から9ヶ月たちました。- 勝間和代公式ブログ: 私的なことがらを記録しよう!!

石巻を中心に被災地支援をしているJENさんにChabo!やグレの寄付金を活用していただいているので、活動地を訪問してきました。今回で2回目になります。今回も1泊2日です。

泊まりは、石巻に宿泊地を見つけられなかったので、隣の東松島市に滞在しました。ホテルにはたくさん、県警の方が応援にきていました。

はじめ、ホテルの方から「ケンケイさんが多いんです」と言われたときに、まずはケンケイが聞き取れなくて聞き直し、そして、さらに、ケンケイという言葉を聞いても?、だったら、「県警さん」ともう一度言ってもらって、ようやく納得でした。

全国から応援に来ているのですね。被災直後から夏にかけて、被災地に行ったときにはまだ信号が壊れているところが多く、多くの信号が警官の方の手旗信号で代用されていたのを思い出します。

東松島はその絶景で有名な場所、そしてだからこそ、津波の被害も大きかったのです。
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津波の避難場所に指定されていた野蒜小学校には多くの人が避難しましたが、ところが野蒜小学校の体育館は高台でなかったため、避難先で津波にのまれてしまったのです。校舎の高い方に上がった人たちが「そこだと危ないからこちらへ」と叫んでいたということですが、それは十分に届きませんでした。標識を見ると、確かに野蒜小学校は避難場所に指定されていました。
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海岸沿いの線路はまだ壊れていて、電車の搬送がちょうど行われていました。
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東松島から再び石巻に戻り、今度はJENさんが企画している、仮設住宅の側のお茶会に参加しました。
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石巻の各地からみなさん、仮設住宅に移住してきているので、コミュニティの再生が必要であり、JENがコーディネイトして、横のつながりを助けています。今回はこちらで、実際に被災にあった方たちの貴重な肉声を、じっくりと聞くことができました。

・避難するときにはリュックにいろいろなものをいれたけれども、よく考えると実は必要がないものだけれども余裕がないので身のまわりのものを詰めただけだった、

・結局、津波が早すぎて避難所に行く暇がなく、なんとか自宅の2階で難を逃れたものの、自宅で水に濡れて寒く電気もガスもなく、途方に暮れていて、たまたま近くで自家発電があった企業が光っていたので、近所の人たちがそこに集まって緊急避難所になって、そこの関連会社から物資が届いて、一息ついたけれども、寝るところがなくてパイプ椅子だった

・その企業の社長さんも、自宅が流されているにもかかわらず、毎日、「おはよう」と明るく声をかけ、避難してきた近所の人や社員さん、その家族を受け入れ、他の地域の関連会社からミルクやおむつを優先的に送ってもらっていた

・お気に入りのカバンや財布が、5回も6回も洗っても、なかなか塩が抜けなくて困って、でも愛着があるから捨てられなかった

などなど、本当に生活に密着して、そして、でも、私たちが聞くことで地震・津波の恐ろしさを語り継げることができるお話をたくさん聞いて、なんとか、このような話をもっともっと、多くの人に聞いてもらえないかと思いました。

それから、津波に向かって避難してしまったことで、児童の7割を失うという悲劇のあった大川小学校を再訪しました。そこには、供養のための碑ができていました。涙で見えなくなりそうでしたが、黙祷をさせていただきました。
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市内では、通常の10年分に当たる量のがれきの処理が続いています。まず分類しないと、その後の再処理も進まないのです。大変な作業です。
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雄勝は本当に、何もなくなってしまったので、来る度に驚きます。例えばこちらは、コンビニの跡です。わずかに残ったのは学校の構造だけ、民家はすべて流されました。20メートルの津波がきた地区です。
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雄勝の打ち上げられてしまったバスも、そのままでした。一方、町は復活に向けて、歩み出しています。私も5月に雄勝中学の子どもたちに、授業をさせていただきました。
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その後、旧女川町立病院を訪問しました。こちらは、高台にあるのですが、その高台の1階部分にまで津波が到達してしまい、駐車場に避難していた方々が、避難していたにもかかわらず、津波にのまれてしまったのです。車をたまたま、津波に向けて駐車をしていた人たちは気づいていち早く逃げ出しましたが、反対向きに止めていた人たちは気づくのが遅れて、被災してしまいました。
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市内には、まだ大変な量の車がこちらも処理を待っています。
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帰り際、ちょうど、お茶会で聞いた「避難所になった」という「ヤンマーさん」が見えました。はじめ、「やまさんにお世話になって」と何度もおっしゃっていたので、「やまさんとはなんですか?」と尋ねたら、「ヤンマーさん」でした。こちらの社長の浅野さんは、石巻の商工会議所の会頭を務められていて、初日にお話ししたばかりでした。人の縁を感じました。ヤンマーなので、発電機があったのです!!
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さまざまな場所を訪問し、たくさんの方と話をさせていただいて、最後に被災地の産品を集めたお歳暮の見本とパンフレットをいただきました。
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東京にいる私たちがとにかくできることは、JENのような現地で直接支援をしている人たちを支援すること、そして、なるべく被災地の雇用創出に役立てるよう、消費をしたり、アイデアを出したり、そして忘れないように、みなさんの話を聞いて、語り継ぐこと、もどかしいようですが、できることをできる限りしていきたいと思います。

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