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「まじめの罠」でまじめにアンチの方たちと会話をして、そのモチベーションは「義憤」だということがわかりました。

まじめの罠のクチコミにおけるディスカッション、まだ続いています。

Amazon.co.jp:クチコミ:一般の読者はどう思うのか

もともとの論点は、一部の方がここ2年、私の本を読まないと断言しながら、下記のようなタグをつけたり、

まじめの罠 (光文社新書) 表示順 勝間和代
××のタグ: 責任取ったら負けだと思っている, 炎上マーケティング, 売ることが大事, 一度だって責任は取りません, 金になれば何でも利用します, 電事連提供番組のパーソナリティをした人, 中部電力からお金を貰った人, 表紙の写真を修整した人

勝間和代責任編集 すごい女子会 (#デキビジBOOKS) 表示順 勝間 和代
今週つけられたタグ
××のタグ: 中電に金貰いました, 金に物言わせて名人気取り, 震災直後にtwitterで国際救助隊ごっこ, 金になれば何でも利用します, 責任取ったら負けだと思っている, 一度だって責任は取りません, 鼻の穴に入るスカッシュのボールの直径は4cm, 電事連から

あるいはネガティブなレビューにはその通りとつけ、

5つ星のうち 1.0 重症化 , 2011/10/24
△△さんのコメント:
貴殿のご意見に全面的に賛同します。

ポジティブなレビューには、お金もらっているの、ということをつけている

5つ星のうち 1.0 「まじめの罠」の存在を気づかせてくれた, 2011/10/19
□□さんのコメント:
まさにその通りですね。
札びらで頬をひっぱたかれたのでしょうか??

とつけることについて、なぜ、という思いから話しかけ、Ustreamでの公開討論を申し込み、そしてそれも断られたので、非公開、かつ、日本全国、どの時間でも先方の都合のいいところに出向く、といい、それも断られました。

私はネガティブなレビューをしていることを問題にしているのではなく、読んでもいないと公言している本について、本の内容とは関係のない、著者の揶揄、非難をするタグやコメントをひたすらつけ続けることを問題にしてきました。

また、つけ続けるのであれば、その人がアメリカのアマゾンのようにそこで本を買った人なのかどうなのか、あるいは匿名アカウントなのか実名アカウントなのか、区分が付いた方が望ましいと考えたのです。

なぜなら、上記のような行動をとり続けた人は主に4つのアカウントですが、うち2つのアカウントは行動をほぼ同時に行い、1つの方の複数アカウントの疑いが強いと考えています。また、今回の話し合い(?)の中でも、反対派に都合のいいコメントは、コメントが投稿された直後に数分間の間に5~7つの参考になったが入り、私や、私を擁護するようなコメントが入ると、同じ数分間の間に同数の参考にならなかった、が入って、話し合いの画面から消えてしまいます。

複数アカウントをもっているのではないかという疑念は、例えばタグだけつけてそのタグだけに同意をしたりして、しかもamazonでものを買っていないので、タグをどこにつけたかわからなかったり、本のレビューがないアカウント(GE999、yokopu05など、しかもプロフィール名のつけ方に同じような規則性がある)があることから生まれました。したがって、こういうものがフェアでないと感じ、改善を求めていたのです。

ところが、ところが、ここからが本題になります。

アンチの方たちにとっては、どんな手段を使っても、「勝間和代」という人物の評判を、現状市場で評価されているものよりも、少しでも引きずり下ろすことが「フェア」なのです。そしてそれは個人の正義のために行われるのではなく、社会の正義としての「義憤」だったのです。

どういうことかといいますと、彼・彼女がこれまで著作で触れたり、商品を買ったり、あるいは私のブログその他の情報を逐一検索して持っている「勝間和代」という人物に対する評価は、市場で評価されるような立派な人ではなく、欠点だらけである(=私もその通りだと思います)。ところが、そのことが市場では正しく評価されず、本は売れるし、マスメディアは使うし、政府の委員にもしゃしゃりでている。

それが「正義」として許せない、ということなのです。

自分の評価と他者の評価が一致していないのは、他者が自分のように「勝間和代」のネガティブな側面をよく周知していないからだ。だから、どんな手段を使っても、そのネガティブな側面を多くの人に知らせることによって、評価が変わるはずだ、その情報開示の手段として、amazonでもなんでも、使えるものは使えばいい

こういう発想だったということがわかりました。本当に、本当に、目から鱗が落ちました。したがって、彼らが求める、私への市場への評価と、本当の市場の評価が一致するまで、同様の行動は続けるというのが私の予想です。

なぜなら、どうしてこんなにずっとエネルギーを燃やし続けられるのかと思っていたら、それは、嫉妬でも、粘着でも、攻撃でもなくて、「義憤」だからなのです。そして、それは政府その他、強者の行動原理には往々にして起こりうることだ、という発想なのです。強者性悪説、ですね。

したがって、結論からいいますと、私はこれ以上、アンチの方たちにそのような行動を取るのをいかがなものか、あるいはそういう書籍と関係のないアマゾンのタグを残せるような仕組みをいかがなものか、ということをについて訴えることを、とりあえず、中断することにします。

なぜなら、アンチの方の中にある私の評価と、市場の評価が乖離し続けている、ということが行動の基礎にあるわけですから、その部分はアンチの方々が市場の評価に納得しない限り、どんなに私が対話を望んでも、あるいは直接見てくれと言っても、ギャップがうまらないからです。

これからも、アンチの方は、私のネガティブな側面を、さまざまな表現でこまかく、こまかく、いろいろなところでそれが匿名で許される範囲で書き続けることでしょう。そして今回のこのブログの表現にも、ものすごい勢いでさまざまなところに

「勝間和代、負け宣言、逃亡」

などと書いていくことでしょう。

しかし残念ながら、私はアンチの方々が思うような人ではないし、そうでない人でありたいと考えています。だからこそ、アンチの人たちにつぶやかれるような私の「影」、ネガティブな部分については、そういう風に見えるところがあるのだ、とうことを一つの情報として、これからも対応したいと思います。

ちなみに、「鼻の穴に入るスカッシュのボールの直径は4cm」は一番笑いましたが、残念ながらスカッシュボールは鼻の穴に入りません。そんな細かいところまで調べてくださって、恐縮です。

私は私が自分ができる範囲でできる、社会への貢献をこれからも淡々と続けていこうと思います。そして、それがいつまでもアンチの方々の評価と乖離するよう、逆に努力していきたいと思います。

「義憤」というキーワードを理解できただけでも、とても有意義なディスカッションでした。また、私の事例で、なぜ匿名のディスカッションの場を必要とする人たちがいるのか、よく理解できました。ご参加のみなさま、ほんとうにありがとうございました。

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