2011.10.30
ネット上で「義憤」を表明するときに使う4つの手法をまとめてみました
先日のアンチの方々は「義憤」というキーワードから相手を攻撃する、いや、情報開示をする、というエントリーを書きました。
「まじめの罠」でまじめにアンチの方たちと会話をして、そのモチベーションは「義憤」だということがわかりました。- 勝間和代公式ブログ: 私的なことがらを記録しよう!!
その後もまだ、amazonでのやり取りは続いています。
Amazon.co.jp:クチコミ:一般の読者はどう思うのか
これまでの考察を一歩進め、「義憤」をどのように表現するのか、代表的な具体的な4つの手法をまとめてみました。
1. 自分の考えを、「一般の人」「知性のある人」「男性」など、他の大きなカテゴリーに置き換えて、その代表であるかのようにコメントする
ポイントは、自分はこう思った、で終わるのではなく、自分かそう思ったのだから、みなもそう思っている、と切り替えるところです。あるいは、自分の感じ方は、多数の人にそうである、という類推を表明します。
例:
あなたは本当に共感力や社会的常識のない方なのですね。「有名人」となった今ではそれで許されるのでしょうが、有名人になる前の時代はさぞかし周囲の人から顰蹙を買っていたことでしょう。
2. 全ての行動の中から、1つでも多くのミス・まちがいを指摘して、その人の信用力全体を否定する
このようなミスを行う人間なのだから、全てにおいて信用力がないだろう、と断定します。その時のポイントは、ひたすらネガティブなことだけをクローズアップすることです。
例: 著者の日本語の”乱れ”(例:福島原発被災者への”黙祷”、母親の年齢80歳を”喜寿”。その他枚挙に暇がありません。)。そして、決定的なのは文筆業としての文章力が絶無なこと、専門性はもちろん一般常識が皆無なことでしょうか。
3. 自分たちでルールを作り、相手がそれに従ったかどうかで行動を評価する
私が書くと「著者は出てくるな」といい、しばらく書かないと「尻尾を巻いた」となります。どこに転んでも、正当化できるのです。
あるいは、著者への味方コメントがつくと、「本人疑惑」を浮上させ、あるいは「参考にならない」を一斉に押して画面から消し、そして、「ほら多くの人がそう思っている」と言います。
例:カスタマー同士の意見交換の場、ですよ。
著者はお呼びではないのです。
↓
本クチコミに関しては、著者が尻尾巻いて退散されたようで随分と落ち着いてきましたし、
××&(=?、限りなくEQUAL))勝間さん、まだいらしたの?
早く消えてください。
4. 最終手段として、「(カルト的な)宗教」になぞられて、ファンについては教祖とそれに従う人、そしてだまされている、という文脈で話す
ここまで自分たちが情報開示をしてもさらにそれでも買う人たちがいるのは、それが「カルト的な宗教」であるといういい方です。
もちろん、宗教一般は信仰の自由があり、教祖、宗教、という形で揶揄の手段として使うこと自体も問題です。
例: 教祖は真っ黒け 教祖は電気仕掛けで動いている
☆ ☆ ☆
このようなことをまとめて何になるのかと思われる方も多いと思いますが、相手がいろいろなことを私のレビューにぶつける自由があるように、私も自分の考え方をまとめて、考える自由があると思い、ブログに備忘録として書き留めました。
きっとまた、5年後とかに読み返すと、まったく違う感想を持っているかもしれません。まずは、現状でのまとめ、です。