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December 12, 2010

「ヒット商品」から「定番商品」を目指して~当事者の立場から「勝間和代ブーム」を振り返って

12月10日に無事、「人生を10倍自由にするインターディペンデントな生き方実践ガイド」が発売になりました。

この本は私にとって、いわゆる「勝間和代ブーム」の嵐が過ぎ去ったあとに、ひとつの新しい気持として書き下ろし、出版した本です。

以下、少し長くなりますが、当事者から見た勝間和代ブームの流れを追ってみます。

2007年のできごと

2007年春、夜間の修士課程が終わり、昼間の博士課程に通学したかったことから、投資顧問会社を設立して独立、17年間の外資系サラリーマン生活に終止符を打ちました。

その頃はまだ、以前からお付き合いがあったお客さまたちに投資顧問契約をいただき、さまざまな会社の調査を粛々と行う一方、大学院にせっせと通い、過去論文のレビューをおこなったり、割りあてられた会計本の翻訳を行う日々でした。

それがたまたま、春に出版した「無理なく続けられる年収10倍アップ勉強法」がヒットして、続けて「無理なく続けられる年収10倍アップ時間投資法」や「決算書の暗号を解け!」が出たあとで、さらに驚くほど売れたのが

「お金は銀行に預けるな」

です。そこに、「効率が10倍アップする新・知的生産術~自分をグーグル化する方法」が加わることで、私の投資顧問兼博士課程の研究生活の、風景がだんだんと変化してきたのです。

2008年のできごと

そして、いわゆる「勝間ブーム」のきっかけになったのは、2008年はじめに出版された、「自分をグーグル化する方法」の週刊ダイヤモンドでタイアップ特集です。32ページにわたって、書籍を中心に勝間の特集を行うという異例の企画でした。

私のビジュアルが露出しはじめたのも、まさしくこの頃です。そして、情熱大陸やアエラの現代の肖像の話が持ち込まれ、2008年半ばからテレビ出演や雑誌の特集が相次ぐようになります。

それまで、私にとって本を書くことも、一般の読者向けのセミナーを開くことも、あくまで「本業の投資顧問以外の個人で行っている副業」だったので、会社は一切関わらず、私一人が会社の仕事の傍ら、スケジュールをとったり、執筆の時間をとっていました。

ちょうどそのころ、私の主力のお客さまとなっていただいていた、いくつかの金融機関の契約更改の時期で、しかも、リーマンショックもあり、何社かは東京から撤退していくことになりました。

その時点で、弊社「監査と分析」の取締役会議で議論になりました。このまま金融サービス業だけを続けるのは現在のような環境では得策ではない。やはり、私の副業としている、書籍を通じた人材教育やセミナーの部分も会社として並行して行うべきではないか、ということだったのです。

私は正直、抵抗していました。もともと、本を書いたり、セミナーをしたりするのは、本業ではないから楽しくできるのであって、それを生業にしてしまったら、プレッシャーもかかるし、仕事の取捨選択もやりにくくなるからです。そうはいっても、リーマンショック後の外資系金融機関の不況は当分立ち直りそうもなく、しぶしぶという形で、副業を会社に取り込むことに同意しました。

それから、「サキヨミ」というフジテレビの毎週日曜日の情報番組のレギュラーを務めるようになり、2008年末にはアエラの表紙になったりしました。朝生などに出演が始まったのも、このころです。Book Loversというラジオの書評番組も始めました。

おがけさまで書籍も、「フレームワーク力」や「史上最強の人生戦略マニュアル」などが好調でした。「インディペンデントな生き方実践ガイド」を復刊したのもこのころです。

2009年のできごと

新しいことをはじめたので、毎日が学びとチャレンジでした。そして、メディアにもまれたまま、わけがわからないまま2009年を迎え、「断る力」のブームに恵まれたり、ちょうど、「カツマー」ということばが浸透して、日経の2009年前半のヒット商品番付にも「勝間本」が掲載されていきます。

ある意味、もっともブームとなっていた2009年は、私にとっては逆に、試行錯誤だけを行っていた年でもあります。「仕事学のすすめ」が始まり、アエラの「変革の人」の対談が毎週あり、「カツケン」も始まりと、目が回るような忙しさでした。

多くの人に乱発のしすぎでは、といわれた書籍たちですが、このころに出版されたものは、連載や対談をまとめたものが中心でした。

私はブームのさなかにあって決意をしたことは、「どこまでできるかわからないけれども、最大限、自分の可能性を試してみよう」ということだったのです。すなわち、冠番組や、自分の名前を冠した雑誌コーナーは、今のタイミングを逃したら、もう一度持てる機会はないでしょう。

また、いわゆる「ビジネス誌」以外のところに露出が出来るのも、この時を逃したらなかなかないと考え、いろいろな角度のいろいろな記事や取材を試させていただきました。

さらに、経済や政策関連について、2008年に出版した「勝間和代の日本を変えよう」をきっかけに、問い合わせを受ける機会が増えてきたため、その部分についても力をいれるように変わっていきました。

すると、いわゆる「ビジネスライフハック」的なところに対する投資が当然薄れていきますから、以前の無名の頃のファンの方々から「勝間は変わった」「勝間はいい気になっている」「勝間はどこにいくのか」と言われていることも、気づいていました。

それでも、2009年は、逆に、私が2007-2008年に築いたものをすべてなくしてもいいくらいの気分で、ひたすら新規投資を行う1年でもあったのです。

幸い、2009年の一年間は、人脈もものすごく広がりましたし、さまざまな分野を試すことで、自分が向いていること、向いていないこと、商用にたえうるもの、まったく商用にはなりようがないものなどを理解し、体感することが出来ました。

そして、そのチャレンジの終止符が、ひとつが「勝間ショック」と言われた、現総理である菅さんへの2009年11月のデフレ対策の提言であり、もうひとつが「紅白審査員」だったのです。

2010年のできごと

2010年を迎え、とにかく行ったことは、2009年の清算をすることです。あまりにもとっちらかしてしまったので、相変わらず本はどんどん出てくるし、メディアへの出演はさまざまなものがあるし、「一体、勝間はなにをしたいのか」と思われていた時期です。

しかし、その時点で自分がどこに役割を置くべきか、おおむね領域を定めました。そして、その領域からはみ出ている仕事については、相手に迷惑をかけないようにしながら、撤退したり、リニューアルをしていったのです。

例えばその典型が、「カツケン」を「デキビジ」にリニューアルしたことです。

自分がバラエティ番組にはまったく向かないこと、出来ないことを痛感し、ビジネス番組に内容を特化しました。また、「勝間和代」という冠も不要だと考え、外してもらいました。

雑誌や新聞連載も、本当に自分が得意な分野だけを担当するようにしました。そして、2009年の新しい分野への挑戦、量を狙った挑戦をやめて、2010年は再び、自分がトンがった場所だけで勝負をするよう、組み替えの努力をいまでも続けています。

2009年はギリギリにスケジュールを組んでいたため、乗ることがとても少なくなっていた自転車も、やっと仕事の整理がついた2010年夏くらいからは、ほぼ毎日乗ることができるようになりました。運動不足で戻ってきた体重も、再び減ってきています。

2009年は「仕事の宣伝ばかり」と評判が悪かったこのブログたちも、しっかりと書く時間を確保できるようになりました。

そのような状況の中、新しい区切りとして出版させていただいたのが、この


なのです。

そのため、題名も決して凝っていません。内容も突飛なことは書かず、正直なことをていねいに書きました。一つ一つ、時間をかけて、書き下ろしています。

おかげさまで、「はじめに」を読んだだけでもすごくおもしろかったという声や、これまで勝間本に疲れたり、愛想を尽かしていた人からも、店頭でパラパラと見て、おもしろいから買ったと言っていただきました。

表紙に使った写真は、Chabo!の視察でハイチにいったときのものです。すっぴんメガネ姿。私のふだんの格好です。2009年にスケジュールがきつかったため乗ることが少なくなっていた電車も、今はふつうにまた乗るようになりました。

2010年の今、私は自分のホームポジションに帰ってきた気分ですが、それはやはり、2008年後半~2009年にかけて、がむしゃらに新しいことをしてみたからこそ、やはりここが自分の居場所なのだ、ということがわかったのではないかと思います。

やはり、私は「自立」「生産性向上」「多様性」「戦略」「分析」「効率的資源配分」「経済」などがキーワードなのであって、そこからどんなにがんばって出てみても、自分も快適ではないし、相手にも迷惑をかけてしまいます。

それでも、自分の得意分野から出ることによって、得意分野に持ち帰ることが出来た気づきも数え切れないほど有りました。そして、何よりも変えがたいさまざまなすばらしい方々との巡り会いがあり、金銭に換えられないほどの無形資産が蓄積できた2年間でもあったと思います。

そして、独立してからもうすぐ4年、変わらずに私を支えてきてくれた、上念司さんを初めとした監査と分析の社員のみなさん、ディスカヴァー21の干場社長を初めとした担当編集者のみなさま、新しくメディアに出たときに本当に支え続けてくださったプロデューサー、ディレクターのみなさま、ほか、いつも一緒に仕事をしてくださっているみなさまに、そして最後に、変わらず私の本や商品を買ってくださっている顧客のみなさまに、心から、心から、お礼をお伝えしたいと思います。

2011年も新しいチャレンジの年として、転びながらも、また学んでいき、新しいものを生み出していきたいと思います。

2010 12 12 [2.実体験観察から] | 固定リンク

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