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November 20, 2005

変化とリスクに対する学習を考える

失敗学のすすめ

失敗学のすすめ

今回は、日常生活の大きな変化に対し、どのようにリスクを取り、そこから学習するのか、そのコストをどう捉えるか、ということを考察したいと思います。

日常生活の大きな変化とは、例えば、下記のようなものです。
・結婚
・離婚
・出産
・転居
・転職

そして、変化、すなわち環境変化に対してリスクを取り、より上手に乗り切ることができるかどうかは、一種の訓練を伴うスキルであり、特に現代のように変化のスピードが加速している状況では、この「変化に対するリスクマネジメント」に対する学習をすることで、より安いコストで楽しいことができるのではないか、という仮説を考えています。

逆に、そのような変化に対して拒否感を持ったり、あるいは安定性を重視して利用よりも所有にこだわると、確かに安定性は得られるけれども、コストが高くなるのではないかと思います。

具体的にはどういうことなのか。少し実例を見ていきましょう。

例えば、最近賃貸の契約を探すと、「定期借家」というものをよく見かけます。こちらは、オーナーが何かの事情で一時的には家を貸したいけれども、何回も更新をすることは避けたい、というものです。

この定期借家契約の家は、だいたい普通の契約の家に比べて、3割くらいは割安になっているように感じます。家賃20万円の家だったら14万円くらい、15万円の家だったら10万円くらい、というイメージです。

この理由は何かと言うことを考えると、下記のようなリスクをはらむため、少ない人しか定期借家を選ばないわけです。

・借り換え時によい物件が見つからないリスク
・借り換え時に子どもの学校などに影響を与えるリスク
・借り換え時に審査でひっかかるリスク

しかし、例えば家賃20万円が14万円になると、月額6万円×12で年間72万円、これが4年間だとしたら288万円も節約できるのですから、そのあとで新しい家を探して、引っ越しをしたとしても、十分に礼金を払ってもおつりが来るはずです。また、その時々により今よりもよい環境の場所を探すと言うメリットも得ることができます。

すなわち、変化を好む人は、変化を好まない人に比べてリスクテイカーであり、そのリスクをうまく管理することで、よりよいリターンを得ることに対し、学習してきて、自信がある人、と言うことになります。

これと同じことは、転職にも、結婚にも、離婚にも同じことが言えると思います。転職後や離婚後の自分の人生がそれ以前よりもいいか、悪いかはいろいろな意味でリスクがあり、リスクをとれない人は変化を望まないわけです。

それだったら、変化に対するリスクをとれるようにすればいい、ということになりますが、この変化マネジメントについても、以下の二つの難しい点があります。

難点1:変化を取るためにはそのリスクを管理するだけのスキルがなければいけない
難点2:変化をして失敗をした場合に、リカバリーできるものしか変化を取ってはいけない。

そうやって考えると、これまで変化に対するリスクを取らなかった人に、「さあ、リスクを取ってください」といっても、当然、無理が生じます。

結局、解としては、小さい頃からなるべく少しずつ小さなリスクを取らせて、リスク管理能力を親が高めて子どもを育てるしかないのか、と考えています。

あるいは、大人がリスク管理能力をつけるためには、無理矢理そういう状況にたたき込まれ、「背水の陣」で臨む必要があるのかと感じました。

最近、「失敗学」が注目を集めていますが、失敗学が言っていることも、結局は挑戦→失敗→学習→再挑戦、というサイクルを勧めているように感じています。

このように、変化・マネジメント・失敗学などのキーワードを頭において物事を見るとおもしろいかと思います。

2005 11 20 [2.実体験観察から] | 固定リンク

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コメント

投稿者: hayapinsn (Nov 22, 2005, 8:21:22 AM)

こんにちは。

散文調ながら、こっちも少し考えてみました。

投稿者: りょう (Nov 22, 2005, 2:51:29 PM)

こんにちは、初めまして。

今回のテーマは、なかなか面白いので

初めてですが、書き込みさせていただきますね。

個人的な経験的には、失敗から学べるものは

リスクへの適応能力というよりは、リスクの検出する目を

養っているように思われます。

また、リスクを量的に経験することによって、

無意識の元でリスクの検出・評価・行動へのフィードバックを

行う一連の作業の体得や習慣化させられ、

最終的な結論までの時間やプロセスの短縮、

もしくは複雑な要素からのリスク検出能力の向上へと

進歩していくように感じます。

この時に重要なのが、意識的に(もしくは目的として)

リスクコントロールをしているのか、

はたまた、本能的にリスクコントロールしているのかで、

習得しているものの性質が変わってくるように思われます。

つまり、リスク性質や量の如何にかかわらず、

意識的に活動していないと、結局は本能的に処理しただけに

とどまってしまうのではないでしょうか。

いわゆる分析家と呼ばれる方々が、分析を得意とするその背景には、

日常レベルでの意識的な分析の類を頻繁に行っているように思われます。

そういった人間の心理の中にある方程式なものに、

私たちは絶えず膨大なデータを入力しているのかも知れません。

そこから導き出された答えに何を見るか、感じるかが

いわゆる個性や特徴に繋がってくるように思います。


とまぁ、長々と申し訳ないです。

大学の専攻(予定)科目なのでついつい熱くなってしまいました。

今後も興味深い記事を楽しみにしてますね。

投稿者: ムギ (Nov 26, 2005, 1:54:33 PM)

hayapinsnさん、りょうさん、こんにちは。

なるほど、リスクを検出して、考える能力を養っている、と言うことですか。

しかも、それをどのくらい意識しているのかによって、流れが変わる、ということですね。

今、悩んでいるのが、そういう考え方を、どうやって、子どもや、部下に、つけてもらうか、ということです。

自然にできるようになるのが一番ですが、層でない場合もあるので。

学習しかないんでしょうかね。

またぜひ、大学でおもしろいことがわかったら、教えてください。

投稿者: hayapinsn (Nov 29, 2005, 7:54:27 PM)

ムギさん、こんにちは。
りょうさんのコメントがおもしろく、触発されました。

普段気をつけていることに、「リスクをとること」を「ギャンブルとしないこと」があります。これには「ギャンブル」と「ギャンブラーの心理」についての理解が有用に思います。

また、私はある程度、リスク分析の考え方の段取りを共通化できると、他者と共有し合うことができると思っています。

私は、EM法のリスク対応の考え方をよく使います。これは手法の優劣より、一つ軸になる考え方を持てば、その長短所から、適宜応用できると思うからです。

EM法については、飯久保廣嗣氏の「質問力」が取っつきやすいので参考になるかと思います。「学ぶ質問」と「考える質問」の使い分けだけで、ずいぶん考え方が変わりました。それをEM法の4つの思考領域での段取りに活用するとさらにいいのかなと思います。

とくに経験則外の事象への対処をどうするか、にはある程度、筋道だったものの考え方が必要に思います。ここが経験則の延長にある失敗学の問題として「理系の経営学」(宮田秀明著)で指摘されています。


ただ、リスクへの対応にかぎらず、結局自分が最終判断をします。最近、自分の人生なのに他人が最良と判断したことで苦しみたくはないと思うことが増えてきました。

そんなときのために「もしこれを選んだら、明日後悔していないか、来年後悔していないか、生涯後悔していないか」といった自問をし、納得してから決めることも、正直増えてきました。

理か情で対処しなくてはならないときもある、そのバランスのなかできめることも大切、そんなことに最近ようやく気づけたようです。はた目には矛盾だらけな行動なのでしょうね。

投稿者: くり (Nov 30, 2005, 8:04:31 PM)

hayapinsnさまのご意見。
ただ、リスクへの対応にかぎらず、結局自分が最終判断をします。最近、自分の人生なのに他人が最良と判断したことで苦しみたくはないと思うことが増えてきました。

同感です。

リスクを取るか否か、はたまた、結果的にリスクであったかどうかの判断も含めて無意識に価値基準を世の中に委ねていることに気付きました。

結果がどうあれ、人のものさしで、自分を計ることが良いのか
・・ですよね。

投稿者: hayapinsn (Dec 5, 2005, 4:19:21 PM)

くりさんこんにちは。

コメントしてよいものやら迷いましたが、ちと気になったので。

最近「ことば」からものを考えることが増えてきました。例えば、くりさんがコメントで書かれた「世の中」や「人のものさし」って具体的になんだろうと考えていくと、意外と限定されていくように思います。日本語っておもしろくて、語彙が多いので、類語辞典でいろいろと言い換え遊びをすると意外なことに気づけますよ。

実はこの情での最終判断は、選択肢の捻出での苦し紛れで見つけたものの一つです。したがい、情でのYesかNoかという二者択一の問いに陥らないように、選択肢を複数持てる考え方がまず大事かなと思います。とくに他人と共有して決めるときは納得も必要になります。

リスクって難しい問題だし、万人共通の答え、絶対解もなく、また当時最良と思われた選択も時間とともに変わっていくものです。そう考えれば、完璧主義が不毛だと気づくと思います。

近頃は一歩進めて、最悪の事態だけは避けることを考えるようにしています。「起こったらどうしよう」ではなく「起きないようにするにはどうすべきか」ということかな。意外と安心するものです。

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