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August 14, 2005
パソコンの功罪について、再び考える

今回は、パソコンの役割について再び考えたいと思います。
例えば、この文章ですが、キーボードからではなく、音声入力システム(Via Voice)から入力しています。音声でパソコンに入力できるなんて、ちょっと前まで考えられなかったと思います。それが、家庭用の普通のパソコンで今はスムーズにできるなりました。
私がパソコンを最初に手に入れたのは、今から23年前です。当時、パソコンができることといったら何もありませんでした。せいぜい、簡単なゲームかプログラミングをするだけ。
それでも、私を含めてたくさんの人たちがパソコンの可能性に飛び付きました。まだ中学生だった私は、まわりの家族から「高いおもちゃ」と揶揄をされていましたが、それでも高校生大学生とずっとパソコンを毎日さわって遊んでいたような気がします。
そして数十年たったいま、パソコンではほとんどの情報家電の役割が代替できます。このように、インターネットブラウジングをするほか、メールの出し入れ、電話、テレビ視聴など、いろいろなことができるようになりました。
なぜこのようにパソコンが発展してきたのか?私の仮説としては、パソコンが人間の考え方や行動パターンを、真似するとても良い機械だからと考えています。
人間とパソコンをどのように似ているのか、例えば下記のようなアナロジーを考えてみましょう。
CPU=人間としての基本的な考え方、演算
OS=1つのルールに従った決まり
アプリケーション=ある一定の目的を達成するための行動パターン
ハードディスク=いろいろなデータのための記憶、必要なときに思い出せるもの
ディスプレ=考えてることを相手に表現するもの、顔
ですから、これまで人間がやっていたことを、上手にパソコンに乗せていくことができ、いろいろなことができるということになります。
また、パソコンを通じていろいろな創造物を残していくことが、それを作った本人にとっても、自己実現につながります。極端な言い方をすると、人間にとって、パソコンは魔法のランプなのかもしれません。
一方、パソコンには当然功罪のうち罪の部分もたくさんあります。その最たるものが、健康への悪影響ではないかと思います。パソコンが発展してきたことで、疲れ目が増え、肩凝りが増え、指の腱鞘炎が増え、運動量が減り、さまざまな形で健康への被害が生じています。
さらに、体の健康面だけではなく、心の健康面にも悪影響及ぼしていると考えます。人間とのかかわりを極端に制限しても、パソコンがあればそれなりに暮らせるからです。以前、メールと電話のどちらを好むかというエントリを書いたことがありますが、その大きな区分として、最もコミニュケーションを学ぶ十代の時期において、どちらを中心にしてきたかということがあるのではないでしょうか?
とはいえ、この流れは不可逆だと思います。パソコンを持って、自分の世界に浸り込むのは簡単です。しかし、この議論は例えば、ゲームのコンソールがとても流行った時にも行った議論であり、パソコン自体が悪いという理は、パソコンを使ってどのように情操教育をするかという部分がより重要のではないでしょうか?
最近、普段使うノートパソコンを2台に増やしてから、非常に便利だということがよくわかりました。なぜ便利かというと、片方を受信専用型、片方を送信専用という形で使い分けることができるからです。
そうしながら、片方のパソコンでテレビを見ながら、片方のパソコンでブログに入力をする。自分でやりながら、はたから見るとかなり奇妙な光景なんだろうなと考えていました。こうやって、パソコンは今後も増殖していくわけです。
そして、確かにこのようなことを、自分の子供たちが日常的にやっているとなると、精神的な影響が大丈夫かということは考えてしまうと思います。
昔のSF小説やSFの漫画で、鉄腕アトムやドラえもんのようなロボットを手に入れると、のび太君のような普通の弱い人間がどのように動くかということについていろいろ描かれていました。おそらく、同じようにパソコンがロボットであり、私たちがのび太君なのでしょう。
便利だということに浸りすぎないよう、パソコンの利用に対しては、一定の規律をもって対処した方がよさそうです。
2005 08 14 [2.実体験観察から] | 固定リンク
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コメント
投稿者: hideto (Aug 15, 2005, 12:45:36 PM)
これを話すと、かなり歴史全体になっちゃいますが。
文化が進歩するほど人間は退化するといった、反比例が起こってるかもです。
でも、そうなると、人間<技術となって、いわゆる技術に使われる、っていう状態になってしまうのかと。
そうなると、科学が悪いみたいな感じになっちゃいますが、それは包丁で人を刺せるから持つなというようなことになると思います。
ってことで、このへんのバランスを考える時代にならないかなぁと思ったりです。
しかし、PCは便利ですね。(笑
投稿者: ムギ (Aug 15, 2005, 6:24:45 PM)
hidetoさん、こんにちは。
そう、ドラえもんの長編映画に「のび太とブリキのラビリンス」という題名のものが、そういう内容でしたね。
まぁ、人間が、より楽をしたい、というのは根本的な欲求なので、そこで浮いた時間を、もっと有意義なことに使えばいいのでしょうね。
例えば、パソコンとネットができて、とにかく、情報流通コストが格段に下がったのですから、それをうまく使うようにしたいなぁ、と思います。
投稿者: めたろう (Aug 16, 2005, 11:39:56 AM)
藤子.F.不二雄さんのSF短編で、コンピュータに頼りすぎて中学レベルの計算が出来なくなっている未来人、という文明批評ネタがありましたが、現実化してますな。
ただ、大昔のSFでの「マザーコンピューターが人類を支配する」イメージが実現せず、パーソナル化、ネット化が進行したのはとても興味深い事です。
結果「コンピューターに支配されてる」イメージはある側面で現実化したわけですが、それは別の一面では自分達自身の内側から出てきた得体の知れぬものに支配されてるという事でもある訳で。
投稿者: あおぞら (Aug 17, 2005, 8:39:57 PM)
ムギさん、こんにちは。久しぶりに書き込みさせていただきます。
最近の小学校では、課題をパソコンで出されるので、親は否応なく子供に買い与えなければならないといった話を聞いたことがあります。自分が子供だった20年以上前はとても考えられないことです・・・。
パソコンや携帯電話が子供の情操教育に与える影響は大きく、技術の進化の速さに対応する大人の教育能力のほうが大変みたいですが、少なくともこうした新しいコミュニケーションの手段によって救われる子供たちも多いのだと思います。
例えば学校でいじめられている子供とか、登校拒否に陥った子供は、昔であれば「学校」と「家庭」しか人間関係の選択肢がなかったのですが、どちらにも居場所を見出せない子供にとって、パソコン(ネット)が与えてくれるコミュニケーションの世界は大きいのだと思います。
ただ、それが犯罪に結びつくこともあるので難しいのですが。昔のようにのんびりした世界でなくなったのが、子供にとって一番悲しいことかもしれないですね。
投稿者: ムギ (Aug 18, 2005, 10:00:38 PM)
めたろうさん、こんにちは。
そう、同じような話が、のび太とブリキのラビリンス、でありましたね。
確かに、マザーコンピュータではなく、一人一人が持っているPCにはまってしまうのは、不思議なものです。
バランスに気をつけたいですね。
投稿者: ムギ (Aug 18, 2005, 10:07:46 PM)
あおぞらさん、こんにちは。
あ、功罪の功の部分、確かに興味深いです。なるほど、子どもが新しい選択肢を手に入れるのは、いいことですね。
子どもを見ていると、使いこなすのは早いのですが、やはり、親としては、犯罪に巻き込まれないか、ということは心配になってしまいます。
もっとも、今は外で自由に遊びに行ける時代ではないので、パソコンの中だけが心配というわけではないのも、悩み深いですね。
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