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January 22, 2005

勝者の代償-ニューエコノミーのパラドックスを考える

勝者の代償

今回は、「ニューエコノミーなどにより生産性がよくなるほど、なぜ私たちの生活がより大変になるのはなぜか」というパラドックスについて考えてみたいと思います。

この1週間の平日は仕事が忙しく、ほとんどブログを更新する時間がとれませんでした。このブログを読んでいるフルタイム会社勤めの方のほとんどは、平日の夜は同じような状態だと思います。

このように、ニューエコノミーが加速し、生産性が上がれば上がるほど、労働者である私たちの忙しさは構造的・加速的に生じるという恐ろしい現実に目を向けなければなりません。それはどのような仕組みなのでしょうか?

まず、ニューエコノミーとは何か。ニューエコノミーは1990年代のITなどの進展をきっかけとして、「生産性向上によるインフレなき経済の継続的成長」として定義されてきています。

ニューエコノミーの結果、消費者はこれまでよりも安い価格で高い品質の財・サービスを受けることができるようになり、幸せにつながる、というのが当初のロジックでした。

ニューエコノミー論が始まってから早10年、果たして当初の予定通り、消費者は幸せになったのでしょうか? 答えは、消費者としてはYes、ただし、労働者としてはNoという、矛盾した結果となりました。

「勝者の代償」の中で、アメリカの著名な経済ジャーナリストであるロバート・B. ライシュは、買い手と売り手という視点から、このパラドックスをうまく説明しています。

製品市場において

1. 買い手にとって「選択の範囲が増え」「自分にあったすばらしい製品が手に入る」
ことは
2. 売り手から見ると「顧客の獲得・囲い込みが難しくなり」「大量生産の手法が通じなくなったこと」

であると看破しています。

また、労働・資本市場においても

3. 買い手にとって「すばらしい仕事の就職機会」と「投資機会」
があることは
4. 売り手にとって「雇用の流動化」と「コミュニティ格差」

を受容すること、となります。

つまり、消費者の買い手としての幸せを追求すればするほど、労働者としての売り手である私たちの生活はますますきつくなり、労働時間が長くなり、気をつけないと自分を見失い、家庭生活に支障を来し、コミュニティも機能しなくなる、という結果となります。

私の感覚では、アメリカも、日本もこのパラドックスを解けていないはずです。また、個人としても全くその通り、と思いながら、自分もその「ニューエコノミーの生産性競争」に参加せざるをえません。

同じような生産性のパラドックスでは、ニューエコノミーに限らず、古くは輸出産業の理論があります。

日本の為替水準は、日本の全産業の10%しか占めない国際競争力がある産業、すなわち自動車や電機製品の競争力から為替相場が決まってきます。つまり、トヨタやシャープががんばればがんばるほど、円高が進みます。

円高が進むと、さらに各社が生産性改善をしてその為替水準に合わせて競争力をつけるため、ますます円高圧力がかかるようになる、というわけです。これは、もう数十年間、為替が360円から100円まで上がってきた背景にあるロジックです。

ニューエコノミーや為替のパラドックスが生じる理由は、供給過剰となった生産性です。私たちが日常で欲望を満たすために私たちは生産をしていますが、その中身は娯楽、異性への魅力、家族とのふれあい、空腹・睡眠、健康、知的刺激など、実はかなり限定列挙できるわけです。

そして、大半の欲望については、その日常での欲望を充足して有り余るサービス・財が特にアメリカや日本などでは供給されてしまっています。それを無理矢理売るためには、より安い価格で高い品質を提供しなければならないわけです。

したがって、既存の仕組みのまま生産性を限りなく上げていくことは、出口のないゲームをしていると私は考えます。

一方、これまで充足してこなかった財、例えば精神的な落ち着きや癒しなど、これまで経済にうまくのらなかった分野がだんだん立ち上がってきているのは、少しでもこのような歪みを取ろうとしている社会全体の動きなのかもしれません。

毎日の生活の中に、もっと遊びを入れて生産性のパラドックスを回避できるような方法について、うまく折り合いをつけていけるのか、もう少し考えてみたいと思っています。

みなさんも、いいアイデアや考え方があったらぜひ教えてください。

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コメント

投稿者: banning 改め 円山貫 (Jan 23, 2005, 12:08:47 AM)

鉄腕アトムの世界の人間は何をするんだろう、と考えてみたことがあります。
labor は、ロボットに任せる世界、究極の生産性の世界。
そこまで行けば、「勝者の代償」問題も解決するでしょう。

トヨタが頑張った結果、トヨタだけではなく、日本全体が豊かになりました。それが最終的な出口のヒントと思います。
セーフティネットをだんだん上にあげていけばいいんです。

ただ、豊かなのは、今は世界の一部だけです。
資本主義は、欲望とルサンチマンを核する強いシステムです。人類全体が今の日本のような豊かさになるまでは、しんどいと思います。ただ、私はそう悲観的でもありません。

最後の質問は、とても贅沢な質問にも感じます。
企業、競争の中では難しいとも思います。豊かな話と考えれば、NPOとかボランティアとか、収入や利益を第一目的にしない世界で、自分の生活を考える、というのがひとつの方向性でしょう。

「日常の生活」から遠い記事なので、長文になってしまいましたが、コメントにさせていただきます。

投稿者: Nakamura (Jan 23, 2005, 4:26:28 AM)

Nakamuraです。
とても面白い記事をありがとうございます。自分のブログで紹介させていただきました。
でも、すいません、2回もTBを送ってしまいました。失礼しました・・!

投稿者: ムギ (Jan 24, 2005, 2:25:44 AM)

円山さん、こんにちは。コメントありがとうございました。

おっしゃられているような国・社会ごとの生産性の差をさらに解決しなければならないとか、セイフティネットの問題は本当にその通りだと思います。

ちょうど今、「知の挑戦」で有名なエドワード・ウィルソンの最新作である「The Future of Life」を読んでいるのですが、この本では逆に、すべての世界の人がアメリカ・日本並みに消費をすると地球資源が枯渇するということについて繰り返し触れられていました。

生産性のパラドックスと同じく、地球の自然資源の枯渇、さらに少子化、この問題はみな絡み合っているので、まだすっきりと整理できていませんが、少しずつ考え抜いていきたい課題だと思っています。

またぜひ、ディスカッションさせてください。

投稿者: ムギ (Jan 24, 2005, 2:31:23 AM)

nakamuraさん、こんにちは。

コメントありがとうございました。

TBは片方削除しましたので、大丈夫です。

生産性については、やはりパラダイムの転換が必要なのだろうと思っています。

しかし、今まで勤めてきた会社が生産性をいかに上げるか、ということに血道を上げてきた米系の会社ばかりなので、まだ自分の中で今ひとつ落ち着いていません。

一つの解としては、信賞必罰をもっと精神的なものや地球の資源への配慮などに割り当てるような動きがもっと加速すればいいのかと考えているところです。

転職してしばらく落ち着かない毎日かもしれませんが、これからもまた、おもしろいブログを書いてください。

投稿者: ぱんきち (Jan 25, 2005, 5:32:13 AM)

とても面白い記事をありがとうございました。
こちらと姉妹?ブログでもお勧めされてます『7つの習慣』には
「かけちがったはしごをいかに早く、効率的に登るか」に多くの人が
注力していて、「はしごが正しい位置にかけられているのか」の
検証がおこなわれていないというような事が書かれていました。
正にその通りだと思われます。
環境問題は全世界的に避けてとおれない問題で
現在の「カネ、モノ、地位」を礼賛するような
風潮をもう少し違った価値観で多くの人が世の中を見渡せるように
なればなと思います。(マスメディア、税制等)
(昨今のTV,雑誌、本、ネット等は「カネ、モノ、地位」に偏りすぎているかと。。。
まあ、視聴者あってのマスメディアなので
どうしようもないのかもしれませんが。)

最近の自分的「日常の生活」は、単価が自分より低い人に
育児(保育園)を代行してもらって単価の高い仕事(会社)
を行う事の是非です。心の中でもやもやしてます。

投稿者: ムギ (Jan 25, 2005, 4:53:26 PM)

ぱんきちさん、こんにちは。

コメントありがとうございました。環境その他については、本当におっしゃるとおりだと思います。

より長期的・安定的に私たちが過ごすにはどうしたらいいか、というメカニズムは必要だと思います。

ただ、お金自体は気持ちの交換だと思っているので、あるていど大事にするのは悪くないと思っています。

保育園については分業なのかと思っています。コスト的には自治体の補助金をいれたらけっして自分のコストよりも安いとは思わないし、ただ、保育の専門家に預ける時間があった方が素人の自分だけが保育するよりもいい面があるのでは、という発想です。

とはいえ、私もはしごをかけなおしては、あ、また違った、の繰り返しですが、人間失敗からしか学べないそうなので、コツコツとやり直すのが一番かと思っています。

またお話ししましょう!!

投稿者: junko (Jan 27, 2005, 4:30:53 PM)

ちょうど最近、これと関連した疑問をもっていたので、とても興味深く読みました。

最近の状況(例えば元旦からの初売り、デパートの年中無休状態、全国津々浦々コンビニ化、
100円ショップの盛況ぶり、等々)を見ていて、「いったい、どこまで行くんだろう?」と
少し空恐ろしい気分になっていたのです。

ほんの10年前くらいまでは、まだ、地方によってはコンビニも少なかったですし、
夜中に物が買えないのは当然、お正月にはお店が全部休みでもしょうがない、
という認識がある程度皆の中にあったように思います。

いったい、いつからこうなったのか?その原因は何なのか?
行き着く先はどこなのか?
と疑問に思っていたところなのです。

ということで、しばらくこの本(「勝者の代償」)を読んで、考えをまとめてみようと思います。

投稿者: ムギ (Jan 29, 2005, 5:32:03 PM)

junkoさん、こんにちは。コメントありがとうございました。

そうなんです、この行き着く先はどうなるのか、日本全体で考える局面に来ているのかと思います。

今フランスにいますが、フランスはコンビニエンスストアとか全くありません。物価も高いです。

でも、基本的にはほとんどの人は8時以降、働かなくともいいそうです。

どちらがいい社会なのでしょうか。

(ちなみにそういう私はフランスで風邪をおして仕事中。言うは易く行うは難し、ですね。)

投稿者: まっち (Jun 9, 2005, 5:57:14 PM)

以前この記事を読んでいたのですが、あまり深く考えていませんでした。
(ちなみに本は読んでません。)

買い手と売り手の利害関係は、供給過剰な市場において、
やはり一致しないものなんだね、という1つの結論になるのでしょうか。
その買い手と売り手という立場の違いが、同じ1人の人間の中に存在する
という点が厄介なのだと思いますが。
何が供給過剰なのかというと、物質的な豊かさです。供給過剰であるのに
生産し続けるのは、物質的な豊かさで、間接的に、まだ満たされてはいない
精神的な豊かさや時間が買える事も事実だからだと思います。
(実は、それで帰る精神的な豊かさは、錯覚なのかもしれませんが。)

供給過剰になるもうひとつの原因は、やはり企業は競争してないと存続できない、
という事を言っているのでしょうか。実は人間もそうなのかな・・・
なぜでしょう、よくわからない。単純に弱肉強食のルールでしょうか。
強くなければ生き延びられないから、競争をする?

また、「場の違い」というキーワードも浮かびました。
いち企業人という場(会社)の中で、自分の時間を売って生産性を上げ
価値を生み出し、価値をお金や地位として自分に還元する、そういう1つの場内
でのサイクルが、その場だけでは閉じきれず、
一人の人間という場に場所を変えた時に、矛盾する点があるのは、自明というか
宿命のような気がします。ただ、自分の価値観と矛盾しなければ、その人は幸せ
には生きられると思います。

ある場で得た物を違う場での違う他者へ還元する事がtotalで自分の為になる、
そう考える人が多くなれば、セーフティネットが上がるとは思いますけどね。
環境問題も少子化問題もそう。

で、結局のところ、私も「言うは易く行うは難し」です。
場が違ってしまうと、違う場所での他者への還元が、本当に総合的に自分の為に
なるのか否か、見極められなくなるので。もちろん、見返りを期待しない無償の提供
もできるとは思いますが。

まとまりのない長文ですみません。

投稿者: ムギ (Jun 11, 2005, 9:25:00 AM)

まっちさん、こんにちは。

まっちさんのコメントをよんでいて、やはり過剰適応による過当競争、ということばが浮かびました。

価値観がしっかりしていないと、このような終わりのない競争に巻き込まれる、ということでしょうか?

コミュニティ間の価値の循環の話もおもしろいですね。

まだまだ考えることが多そうです。

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