January 02, 2011

自炊の愉しみ~初日のまとめ

2011年になりました。初日である元旦の夜は何をしていたかというと、ひたすら「自炊」を初体験していました。

自炊とは、自分が買った書籍を、著作権違反とならない私的複製の範囲において、自分で、電子ブックに適するデータに加工することです。

以下、初日体験を綴ります。工作みたいで、いろいろ工夫をして、楽しいです。

ステップ0. 動機と準備編

事の発端は、年末に買ったソニーのブックリーダーが意外と読みやすかったこと。

ソニーブックリーダー使用初日雑感~思ったよりかなりいいです- 勝間和代公式ブログ: 私的なことがらを記録しよう!!

そこで、ふだん家中に置きっぱなしになっていて、読みかけになっている様々な本を、ついでならこの端末に入れて持ち歩いて、家でのすきま時間はこれまでどおりですが、さらに外でのすきま時間にも読もうかと思ったことです。

書籍の電子化については、自炊ではなく、他炊といわれるような、スキャン代行業者さんに同じ作業を頼むこともできるのですが、自炊については私的な複製である範囲においては著作権上OKだけれども、他炊についてはグレーとなっているため、自炊に特化することにしました。

参考
書籍の電子化、「自炊」「スキャン代行」は法的にOK? ~福井弁護士に聞く著作権Q&A -INTERNET Watch

ステップ1-まずは断裁をマスター

さて、では、どうやって自炊をしようかと思ったときに、参考になったのがこちらの記事でした。
誠 Biz.ID:電子書籍「自炊」完全マニュアル:動画と写真で確認する――裁断&スキャンのコツ(裁断編) (1/3)

なので、この記事を参考に、とりあえず、断裁機(正式には、裁断ではなく、断裁、だそうです)をまずは注文しました。PlusのPK-513Lというものがお薦めということで、値段は3万円前後。

やってきたのがこれです。
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スキャナは迷いましたが、自炊でよく使われているS1500が20枚/分のスピードで、それだったら、同等製品で少し古い型番ですがDR-2050もあるし、他にもDR-150もあるので、とりあえず見送りました。

やってきた断裁機、思ったよりも、大きくて、重いです。しかも、一体ふだん、どこに置いておけばいいやら、という大きさ。噂では聞いていましたが、まさかこれほどの大きさとは。

とりあえず、事務机における大きさでないので、食卓の上に置いて、断裁をしてみました。まずは新書から。
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すんごい、簡単にできました。テクニックもなにもいりません。位置を合わせて、レバーを下ろすだけ。驚くくらい切れますので、とにかく、指を切らないように注意しないと、というレベルです。新書1冊分、ほとんど力を入れずに一降りです。ジャキっでおしまい。

すこし大変なのはハードカバー。まずはカバーをベリベリと剥がして、半分ずつ断裁します。
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この時は実はがんばって、余白も断裁して手間がかかっていたのですが、あとから気づいたのは、実はPDFの段階で簡単にトリミングができるので、この時点ではとりあえず、バラバラにすればよかったということがわかりました。

とにかく、ホチキスとかしおりにきをつけながら、バラバラにする、それだけです。少なくとも性能のいいカッターがあれば、ここはあんまり、苦労しません。

ステップ2-ドキュメントスキャナーを使いこなそう

バラバラになったページは、ドキュメントスキャナで読み込みます。

ここも正直、決め手はひたすらスキャナの性能です。家にDR-2050という、いまのDR-2510のひとつ前の機種があり、あと、会社にS1500があるので、はじめは新しいものはいらないと思ったのですが、ウェブでカタログを眺めていると、ふと欲が出てきました。

ひとつ上位機種にすると、1分当たり、20枚から40枚に、飛躍的に性能が上がります。だいたいの本は100-200枚ですから、5-10分のものが、2-5分になる計算です。そして、1分20枚ものはふだんから使っていましたが、やはりシュワンシュワンよりもちょっとだけ、考えます。

これから莫大な数の本をスキャンするんだよなぁ、と思ったので、上位機種の据え置き型を買うことにしました。DR-3010cとfi-6130/6140あたりを迷ったのですが、いかんせん、ずっとキヤノンを使い続けていて、ソフトウェアの設定や使い勝手になれているのと、fi-6130ではやや中途半端で、6140では高すぎたので、DR-3010cにすることにしました。

そしてやってきました。DR-3010c
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本気で早いです。ストレスゼロで、しゅわわーーーーーーん、と読んでいきます。dpiをいくつにするかが難しいのですが、とりあえず、300dpiではやや粗く、600dpiでは遅いしファイルも大きいので、400dpiにいまのところ、設定しています。

というわけで、基本のスキャンは設定はさほど難しくなく
・400dpi
・白黒・両面スキャン (グレイを推奨している記事も多いですが、とりあえず、白黒の方がきれいでした)
でがしがしーーーーーー、と読んでいくだけです。これも、本の裁断がキレイだとほとんど二枚いっしょに読んだり、目詰まりすることもなく、完了します。

最初に50枚しかおけないので、忘れていない限りは継ぎ足しますし、忘れた場合には、分かれてできてPDFファイルをあとで結合します。

本当に難しいのは最適化のところでして、今のところのスキャンの設定を記録しておきます。

-読み込みは詳細設定で
-明るさはかなり、暗め原稿対応に設定(標準だと、意外と文字が薄くしかスキャンできない)
-コントラストは標準
-裏写り防止などはオフ(オンにするとかなりスキャンが遅くなる)
-カラードロップアウトの赤をオン

まぁ、まだ初日なので、完全に最適化できていませんが、最初の消え入らんばかりのスキャンにくらべると、ずいぶんましになりました。

ステップ3-PDFファイルを加工する

できあがったPDFファイルに、以下の2つの加工を施します。

加工1-OCRで文字認識をさせて、あとで検索できるようにする。Adobe PDFの標準機能であります。S1500以上のクラスのスキャナであれば、Acrobatが標準でついてくるので、それを利用すればOKです。

加工2-ソニーの端末のように、小さいもので読むことはここが肝ですが、「トリミング」をして、余白を削っておきます。この時にも、奇数ページと偶数ページを別にトリミングすると、きれいに余白がなくなります。

また、トリミングのときに、大胆に
・ページ番号
・右肩・左肩の章の名前
なども削ってしまうと、より、小さな端末でも見やすくなります。

もともとページ番号は表示されるし、検索があるからどこの章かを肩を見て検索をすることはまずないので、情報としては要らないからです。

ステップ4-端末で読む!!

自炊しても、読まなかったら、本末転倒です。ソニーのリーダーで特に気に入ったのは、OCRしておけば、ノート機能でマーカーつけると、ちゃんとノート一覧に残ること。あとで大事な部分を見直したり、検索するのに超便利です。

この時も、暗さやコントラストをマニュアルで、それぞれの自炊された書籍ごとに調整すると、より読みやすくなります。

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というわけで、初日なので、まだ10冊くらいしかスキャンしていませんが、いい感じです。MDをせっせと作っていた頃を思い出しました。いろいろなところにバラバラと読みかけだったものが、1カ所にまとまるのが、ほんと、いい感じです。当たり前ですが、持ち歩いても、軽いし、本も傷まないし。

ほんと、比喩としては、CDをばんばんとデジタルオーディオプレイヤーに入れる感じとよく似ています。もちろん、断裁機もドキュメントスキャナもお金を出せば出すほどいいものが手に入りますが、そこは、懐具合と頻度との折りあいですね。また、断裁だけなら違法性は低く、その場合はキンコーズなどで100円台でやってくれるはずです。

私も本当はこのクラスが欲しかったのですが
キヤノン:ドキュメントスキャナー DR-6010C 仕様
あまりにもさすがに値段が値段なので、やめました。でも、100枚載せられて、60枚/分なら、うっとり、ですよね。

しばらくは、自炊→読書の日々が続きそうです。一連の作業、慣れると1冊当たり10分~20分です。一番時間がかかるのが、PDFのOCRのところで、そこ以外はほとんど、時間かかりません。

本好きな人は、断裁機とドキュメントスキャナがあればいろいろ楽しめますので、もしよかったら、このお正月、自炊にチャレンジしてみてください。

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December 12, 2010

「ヒット商品」から「定番商品」を目指して~当事者の立場から「勝間和代ブーム」を振り返って

12月10日に無事、「人生を10倍自由にするインターディペンデントな生き方実践ガイド」が発売になりました。

この本は私にとって、いわゆる「勝間和代ブーム」の嵐が過ぎ去ったあとに、ひとつの新しい気持として書き下ろし、出版した本です。

以下、少し長くなりますが、当事者から見た勝間和代ブームの流れを追ってみます。

2007年のできごと

2007年春、夜間の修士課程が終わり、昼間の博士課程に通学したかったことから、投資顧問会社を設立して独立、17年間の外資系サラリーマン生活に終止符を打ちました。

その頃はまだ、以前からお付き合いがあったお客さまたちに投資顧問契約をいただき、さまざまな会社の調査を粛々と行う一方、大学院にせっせと通い、過去論文のレビューをおこなったり、割りあてられた会計本の翻訳を行う日々でした。

それがたまたま、春に出版した「無理なく続けられる年収10倍アップ勉強法」がヒットして、続けて「無理なく続けられる年収10倍アップ時間投資法」や「決算書の暗号を解け!」が出たあとで、さらに驚くほど売れたのが

「お金は銀行に預けるな」

です。そこに、「効率が10倍アップする新・知的生産術~自分をグーグル化する方法」が加わることで、私の投資顧問兼博士課程の研究生活の、風景がだんだんと変化してきたのです。

2008年のできごと

そして、いわゆる「勝間ブーム」のきっかけになったのは、2008年はじめに出版された、「自分をグーグル化する方法」の週刊ダイヤモンドでタイアップ特集です。32ページにわたって、書籍を中心に勝間の特集を行うという異例の企画でした。

私のビジュアルが露出しはじめたのも、まさしくこの頃です。そして、情熱大陸やアエラの現代の肖像の話が持ち込まれ、2008年半ばからテレビ出演や雑誌の特集が相次ぐようになります。

それまで、私にとって本を書くことも、一般の読者向けのセミナーを開くことも、あくまで「本業の投資顧問以外の個人で行っている副業」だったので、会社は一切関わらず、私一人が会社の仕事の傍ら、スケジュールをとったり、執筆の時間をとっていました。

ちょうどそのころ、私の主力のお客さまとなっていただいていた、いくつかの金融機関の契約更改の時期で、しかも、リーマンショックもあり、何社かは東京から撤退していくことになりました。

その時点で、弊社「監査と分析」の取締役会議で議論になりました。このまま金融サービス業だけを続けるのは現在のような環境では得策ではない。やはり、私の副業としている、書籍を通じた人材教育やセミナーの部分も会社として並行して行うべきではないか、ということだったのです。

私は正直、抵抗していました。もともと、本を書いたり、セミナーをしたりするのは、本業ではないから楽しくできるのであって、それを生業にしてしまったら、プレッシャーもかかるし、仕事の取捨選択もやりにくくなるからです。そうはいっても、リーマンショック後の外資系金融機関の不況は当分立ち直りそうもなく、しぶしぶという形で、副業を会社に取り込むことに同意しました。

それから、「サキヨミ」というフジテレビの毎週日曜日の情報番組のレギュラーを務めるようになり、2008年末にはアエラの表紙になったりしました。朝生などに出演が始まったのも、このころです。Book Loversというラジオの書評番組も始めました。

おがけさまで書籍も、「フレームワーク力」や「史上最強の人生戦略マニュアル」などが好調でした。「インディペンデントな生き方実践ガイド」を復刊したのもこのころです。

2009年のできごと

新しいことをはじめたので、毎日が学びとチャレンジでした。そして、メディアにもまれたまま、わけがわからないまま2009年を迎え、「断る力」のブームに恵まれたり、ちょうど、「カツマー」ということばが浸透して、日経の2009年前半のヒット商品番付にも「勝間本」が掲載されていきます。

ある意味、もっともブームとなっていた2009年は、私にとっては逆に、試行錯誤だけを行っていた年でもあります。「仕事学のすすめ」が始まり、アエラの「変革の人」の対談が毎週あり、「カツケン」も始まりと、目が回るような忙しさでした。

多くの人に乱発のしすぎでは、といわれた書籍たちですが、このころに出版されたものは、連載や対談をまとめたものが中心でした。

私はブームのさなかにあって決意をしたことは、「どこまでできるかわからないけれども、最大限、自分の可能性を試してみよう」ということだったのです。すなわち、冠番組や、自分の名前を冠した雑誌コーナーは、今のタイミングを逃したら、もう一度持てる機会はないでしょう。

また、いわゆる「ビジネス誌」以外のところに露出が出来るのも、この時を逃したらなかなかないと考え、いろいろな角度のいろいろな記事や取材を試させていただきました。

さらに、経済や政策関連について、2008年に出版した「勝間和代の日本を変えよう」をきっかけに、問い合わせを受ける機会が増えてきたため、その部分についても力をいれるように変わっていきました。

すると、いわゆる「ビジネスライフハック」的なところに対する投資が当然薄れていきますから、以前の無名の頃のファンの方々から「勝間は変わった」「勝間はいい気になっている」「勝間はどこにいくのか」と言われていることも、気づいていました。

それでも、2009年は、逆に、私が2007-2008年に築いたものをすべてなくしてもいいくらいの気分で、ひたすら新規投資を行う1年でもあったのです。

幸い、2009年の一年間は、人脈もものすごく広がりましたし、さまざまな分野を試すことで、自分が向いていること、向いていないこと、商用にたえうるもの、まったく商用にはなりようがないものなどを理解し、体感することが出来ました。

そして、そのチャレンジの終止符が、ひとつが「勝間ショック」と言われた、現総理である菅さんへの2009年11月のデフレ対策の提言であり、もうひとつが「紅白審査員」だったのです。

2010年のできごと

2010年を迎え、とにかく行ったことは、2009年の清算をすることです。あまりにもとっちらかしてしまったので、相変わらず本はどんどん出てくるし、メディアへの出演はさまざまなものがあるし、「一体、勝間はなにをしたいのか」と思われていた時期です。

しかし、その時点で自分がどこに役割を置くべきか、おおむね領域を定めました。そして、その領域からはみ出ている仕事については、相手に迷惑をかけないようにしながら、撤退したり、リニューアルをしていったのです。

例えばその典型が、「カツケン」を「デキビジ」にリニューアルしたことです。

自分がバラエティ番組にはまったく向かないこと、出来ないことを痛感し、ビジネス番組に内容を特化しました。また、「勝間和代」という冠も不要だと考え、外してもらいました。

雑誌や新聞連載も、本当に自分が得意な分野だけを担当するようにしました。そして、2009年の新しい分野への挑戦、量を狙った挑戦をやめて、2010年は再び、自分がトンがった場所だけで勝負をするよう、組み替えの努力をいまでも続けています。

2009年はギリギリにスケジュールを組んでいたため、乗ることがとても少なくなっていた自転車も、やっと仕事の整理がついた2010年夏くらいからは、ほぼ毎日乗ることができるようになりました。運動不足で戻ってきた体重も、再び減ってきています。

2009年は「仕事の宣伝ばかり」と評判が悪かったこのブログたちも、しっかりと書く時間を確保できるようになりました。

そのような状況の中、新しい区切りとして出版させていただいたのが、この


なのです。

そのため、題名も決して凝っていません。内容も突飛なことは書かず、正直なことをていねいに書きました。一つ一つ、時間をかけて、書き下ろしています。

おかげさまで、「はじめに」を読んだだけでもすごくおもしろかったという声や、これまで勝間本に疲れたり、愛想を尽かしていた人からも、店頭でパラパラと見て、おもしろいから買ったと言っていただきました。

表紙に使った写真は、Chabo!の視察でハイチにいったときのものです。すっぴんメガネ姿。私のふだんの格好です。2009年にスケジュールがきつかったため乗ることが少なくなっていた電車も、今はふつうにまた乗るようになりました。

2010年の今、私は自分のホームポジションに帰ってきた気分ですが、それはやはり、2008年後半~2009年にかけて、がむしゃらに新しいことをしてみたからこそ、やはりここが自分の居場所なのだ、ということがわかったのではないかと思います。

やはり、私は「自立」「生産性向上」「多様性」「戦略」「分析」「効率的資源配分」「経済」などがキーワードなのであって、そこからどんなにがんばって出てみても、自分も快適ではないし、相手にも迷惑をかけてしまいます。

それでも、自分の得意分野から出ることによって、得意分野に持ち帰ることが出来た気づきも数え切れないほど有りました。そして、何よりも変えがたいさまざまなすばらしい方々との巡り会いがあり、金銭に換えられないほどの無形資産が蓄積できた2年間でもあったと思います。

そして、独立してからもうすぐ4年、変わらずに私を支えてきてくれた、上念司さんを初めとした監査と分析の社員のみなさん、ディスカヴァー21の干場社長を初めとした担当編集者のみなさま、新しくメディアに出たときに本当に支え続けてくださったプロデューサー、ディレクターのみなさま、ほか、いつも一緒に仕事をしてくださっているみなさまに、そして最後に、変わらず私の本や商品を買ってくださっている顧客のみなさまに、心から、心から、お礼をお伝えしたいと思います。

2011年も新しいチャレンジの年として、転びながらも、また学んでいき、新しいものを生み出していきたいと思います。

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December 02, 2010

都内でらくーーーに、毎日30キロ走りたい人のための電動自転車ガイド

マドンのあとに輪行用のヘリオスを買ってから、特に変化がなかった私の自転車ポートフォリオに、今年、電動アシスト自転車が2台やってきました。

そして、電動だったら、けっこう坂が多い都内でも、毎日数十キロ乗っても、腰や身体を痛めることなく、自転車生活ができることがわかりましたので、これまでの経験をまとめておきます。


1. まずは電動自転車を手に入れましょう。予算はできれば15万円以上

電動アシスト自転車の難点は、価格と重さです。半端なく、重いし、高いことです。ただそれでも、電車とタクシー代を考えると、意外と投資は早く回収できます。

特に毎日20-30キロ乗る人は、地下鉄代だったら400-600円、タクシーだったらその10倍以上ですから、初期投資を15万円をかけても、地下鉄で1~2年、タクシーでは半年以内で回収できます。

私のお薦めは、市販品だと、いまのところ、Panasonicの電動クロスバイク、ジェッターです。注文生産品でない中では、一番軽い19キロ台。他の電動は軒並み23-25キロです。もっと軽い14-15キロもいくつかありますが、これだと、いきなり30万円を越えるので、コストパフォーマンス的にはジェッターがバランスが良いと思います。実売で10万円半ばです。

写真は、私のジェッターです。少し、いろいろと部品には手を入れています。
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ジェッターではちょっと高いというときには、とにかく、ここからはおサイフとの相談。ジェッターよりハリヤの方が少し安いですが、そうすると1キロちょっと重くなります。ジェッターよりフラットロードの方が4キロほど軽いですが、値段は急にあと数十万、跳ね上がります。いわゆるママチャリ系はやはり重い。重いと、20-30キロ走ると、ちょっと違いが出てきます。

なお、軽量化のため、ドロハネはあきらめて外してください。汚れるだけではなく、そもそも雨の日は危ないので、乗らないからです。カゴも、あとで説明しますが、rixenが軽くて便利なので、つけないでおいてください。


2. 長距離乗りの自転車を続けるときに続けられない原因になる、サドルとペダルを工夫しましょう。

長距離乗ると、一番つらくなるのはサドルです。特に、数十キロ日常的に乗ると、合わないサドルだと10キロちょっとでいやになってしまいます。だから、ここは気合いを入れて、調整してください。

大事なことは、まず高さ。ママチャリ系に比べて、ちょっと高めくらいでいいです。ペダルをいちばん下にしたときに、軽く膝が曲がるくらい。だから、信号待ちなどでは、原則、サドルから下りて待つ形になります。足はつかない。

前後のバランスも重要です。サドルは前後に動かせますから、自分の乗り方や身長に応じて、調整してください。

そしてそれでも最初のサドルが痛いときには、ここは予算をけちらず、サドルを交換してみてください。市価で5,000円以上になりますと、かなりよくなります。

私はTerryというブランドのサドルが好きです。もともと女性にターゲットを絞った自転車ブランドです。今は男性にも展開しています。

こちらは、Terryのバタフライジェルというサドルです。
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ペダルについて、電動アシストについているものは標準品ですが、これを、よりピンで靴がひっかかったり、あるいは少し面積を大きくしたペダルに交換することによって、けっこう早くなります。こちらもさまざまな価格帯がありますが、だいたい数千円くらいから、急によくなります。1万円、予算を用意できれば、かなり良い感じです。

わたしがつけているのは、こんなペダルです。
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3. 自転車ナビを用意しましょう。

そして、長距離を乗るときには、やはり、ナビがあった方がずっと便利です。いまはGPS付の携帯やスマートフォンが主流なので、自転車用のホルダーだけ用意すれば、まずは使えるはず。ホルダーは数千円です。ナビ用のソフトも、無料のものから、1000円前後でダウンロードできるもので試してみてください。

それでいいなぁ、と思って、もっと良いナビがほしいと思ったら、専用機も考えてみてください。だいたい3-8万円くらいです。私のはちょっと古いナビですが、Mio C325です。
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これさえあれば、いつでも、どこでも、行けるようになります。


4. 空気入れは、いい物を用意してください。

空気入れ、週に1度は必要です。ここで、予算をケチって1,000円台のふつうのものを買うと、あとで後悔します。なぜなら、空気がしっかりはいった自転車と、そうでない自転車はまったくスピードが違うからです。こちらは、5,000円以上予算を用意すると、ゲージという、空気圧を測ることが出来るポンプが手に入ります。

私は他にロードバイクもあるので、電動のコンプレッサーを最近、買ったくらいです。


5. 最低限のメンテナンスは自分で行えるようにしましょう。

スプレー式の油と洗浄剤、それに六角レンチセットは用意をしておいてください。よごれをとり、稼働部にはたまに油を差し、そして、ネジの緩みを締め直します。

そして、少しでも調子が悪いなと思ったり、調子が悪くなくても2ヶ月に一度は、購買店でメンテナンスをしてもらってください。毎日20-30キロのりますと、ブレーキシューという、ブレーキをとめるゴムのところはけっこう、あっという間に減ってしまいます。


6. ヘルメットと保険も忘れずに!!

車道を走りますので、ヘルメットは必須です。1万円前後から、とてもいいものがあります。そして自動車同様、保険も忘れずにかけてください。傷害保険でも、対人保険でも、すでに保険に入っている場合には、どこまで適用になるか、保険会社に確認してください。入っていない場合は、自転車保険に加入しましょう。自転車店でも扱っていますし、検索をすれば、出てきます。


7. 保管場所を屋内に確保。そして充電器はできれば、自転車の側に。

電動自転車は屋内保管を基本にしてください。さびに弱いからです。そして、充電器もできれば、自転車の側にあることが好ましいです。だいたい20-30キロのペースだと、2-3日に一度、充電が必要になりますから、これが自転車から離れていると、けっこう不便です。


8. 長距離乗るのですから、荷物はフロントやリアに入れてしまいましょう。

荷物は短距離なら、せなかに背負えばいいのですが、長距離ですと、重いし、暑いし、けっこうじゃまです。そこで登場するのが、Rixenというアダプター。これ、むちゃくちゃ便利です。フロント、シートポスト、リアなど何カ所もつけることができます。

そこにまた、いろいろなカゴやカバンが売っていますので、こちらをつけるわけです。ジェッター君にカゴをつけるとこんな感じになります。フロントは7キロまでの荷物が大丈夫です。
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9. 速度はすごく早くなくていいですが、時速は20キロ以上は目指してください。

だいたい私がジェッターでごく軽くこいで時速20-24キロ、ふつうにこいで27キロ、踏み込んで30キロ超、という感じです。車道を走りますと、時速がせめて20キロないと、車にかなりじゃまにされてしまいますので、都内の車ののろのろ運転よりは少し早いくらいのスピード、時速20キロ超をコンスタントに走るイメージにしてみてください。

実は、都内はあまりにも信号が多くて、時速が20になっても、30になっても、着く時間はあまり変わりません。走っている間の時速が平均で20キロくらい、これに信号待ちの時間が入りますので、だいたい1キロ4分目安でいつも私は到着時間を計算しています。


10. あとは、自分なりの工夫を繰り返してみてください。例えば、私はスピーカーつけています。

ここからは、どうやって長距離を楽しむか、ということですね。私はスピーカーをつけて、交差点では消しながら、音楽やオーディオブックを楽しみながら、自転車を漕いでいます。
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とにかく、無理をせずに続ける、ということが、せっかく買った高い電動アシスト自転車を生かす道になります。なので、ペダルもSPDのような専用の靴のものでなく、ピンがついたフラットのものに変えるだけでも十分ですし、それ以上に重要なのは、しっかりと空気が入っていて、油が差されていて、余計な汚れがないことです。

都内はとにかく信号と坂が多いので、電動が向いている地域だと思います。電動でないと、どうしても坂でふんばるのでそのぶん、疲れが膝や腰にたまりがちですが、電動アシストがあれば、比較的自転車になれていない人でも、毎日数十キロくらい、らくらくと走ることが出来ると思います。

電動アシスト自転車はさまざまな場所で試乗機会を用意していますので、まずは少し乗ってみて、そして、自分が毎日、この電動アシスト自転車だけを原則として足にした場合に継続できるか、といったイメージを持ちながら、考えてみると楽しいと思います。

これまで書いてきたことは、もちろん、電動アシストではなく、通常のクロスバイクなどでも可能です。ただちょっとだけ、坂道と信号発進の負荷がかかり続けますので、無理をしすぎないように注意してください。


ぜひ、1日自転車で30キロの生活、いいなぁ、と思ったら、参加してみてください。いつでも、どこでも、気軽に仕事に、そして遊びに行けるようになりますよ。

四季の移り変わりを肌で感じながら、行動半径がどんどん広がっていきます。

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November 06, 2010

電動自転車ジェッターくんは信号ダッシュ時に実力を発揮する!!

こちらの記事で、ジェッターくんの高速化計画を語り尽くしましたが、あれからも元気にジェッターくんに乗っています。

私はメガネがアランミクリのものが多いのですが、調整をしてもらうために、ジェッターくんに乗って、よく丸ノ内まで出かけます。アランミクリの前で撮った写真です。
丸ノ内のジェッターくん。アランミクリショップの前で撮ってみました。

アランミクリの側には愛するビックカメラもあるし、すぐ側に丸ノ内丸善もあるので、スポーツ自転車があると、このような都心でも、まるで隣町のように、片道10キロ未満だったら遊びに行けるのが好きです。

そして都心乗りをするうちに、ジェッターくんが、すごくいいところが一つわかりましたので、報告したと思います。

それは

信号待ちのあとの発進時、特に坂道発進の時に、乗り手の負担を精神的・肉体的に軽減する

ことです。

信号待ちで坂道発進の時には、電動でない自転車は低速時、不安定です。なので車の横をふらふら走ると危ないので、信号が変わった瞬間信号ダッシュをして、車に追いつかれない前に加速して安定させる努力が必要です。

そして、これ、けっこうつかれるんです。坂道を走り続けるのもつかれるのですが、この信号ダッシュが都市部を走るときに、もっともつかれる原因の一つだと感じています。気を付けないと、膝に来ます。

ところが、ジェッターくんは軽く踏むだけで加速するので、ふらつかないので、最初にコントロールを失いそうになることはありません。したがって、無理をしなくても、的確に車との安全な距離をとることができます。初期の加速だけは、どんなに優秀なロードでもかないません。

そして、都内を走ると、信号待ちでブチブチと止められるので、直線が早いよりは、信号ダッシュが早い方が、楽だし、安全なんです。巡航速度はジェッターくんはマドンにくらべると同じだけ踏んでも、時速5キロくらい落ちるので、直線はちょっとつかれるのですが、それを補ってあまりある「信号ダッシュの精神的・肉体的負担軽減」という効果があることがわかりました。

したがって、だいたい都内でマドンで30キロ走ったときの疲労が、ジェッターで40キロは走ったときの疲労とおなじくらいです。もちろん、見通しのよい、あまり信号がない道を走る場合の疲労はマドンの方が圧倒的に小さいのですが、残念ながら、都内でそんなことはなくって、ブチブチ、ブチブチと信号で捕まりますから。

特に荷物を自分で持ったり、前のカゴに入れたりして、自転車自体が不安定なときには、躊躇なく、ジェッターくんを選ぶようにしています。タイヤも28cと太いので、溝はまりもスリップもほとんどありません。

ジェッターはおとなしいオートマのセダンでいわばプリウスのような車、マドンはエンジン出力の高いマニュアルスポーツカーでいわばポルシェのような車ですから、都内で(漕ぎ手の)燃費がいいのは、当然前者、ということになるのでしょうね。

ちなみに、ジェッターくんのサドルを探しているときに、お店から勧められたブランドでTerryという自転車ブランドがあります。

こちらが、創業者のTerryさんとWebsite(英語)です。

ここがなんと、女性に特化した自転車ブランドで、特にサドルに定評があるそうです。私が選んでもらったバタフライ、というサドルも、すごくいいもので、自転車生活が快適になりました。

なので、マドンもこのTerryのサドルにしようと、いま取り寄せ中です。

なお、このままだとマドンはジェッターにメインの座を奪われそうなので、マドンもより快適にすべく、フレーム変更計画も着々と準備中です。フレームサイズを420~460mmのどこかに縮めることで、もう少し身体にFitしたロードにする予定です。

その時はしかし、もう、マドンとは呼ばないので、また愛称を考えます。でも、小さいフレームは注文生産が多くて、決めても、まだ数ヶ月後だそうです、やってくるの。なので、しばらくは、ジェッターとマドンの2枚看板です。

楽しい自転車生活を引き続き、したいと思います。ちょうど汗もかきにくい、自転車乗りにとって、いい季節になってきましたので。

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November 04, 2010

ハイチ訪問記~貧困への処方せんは、「教育の徹底」と「差別の撤廃」による「自尊心の育成」

Chabo!による寄付先、JENの支援先の一つであるハイチに、10/31~11/5の日程で訪問・視察してきました。

このエントリーはトランスファー地であるグラドループから書いています。ハイチにはパリまたはNY経由で片道2日近くかかるので、中2日半ほどの強行軍でした。

ハイチは2010年1月に大地震があり、その支援に日本のNGOであるJENが向かっていて、住宅資材の供給や、壊れた井戸の修繕、地元ボランティア400人を募集・組織化した衛生教育などを行っています。

JENと協同で行っているChabo!には、小宮一慶さん、神田昌典さん、和田裕美さん他10人の著者と、その共著者が参加し、印税の20%を寄付して、被災国・戦争国の自立支援にあてています。

訪問写真は、こちらにまとめています。

Jen1 Jen2 Jen3

そして、今回、ハイチに訪問してつくづく感じたことは、貧困の解決には

・教育の徹底
・差別の撤廃

しかないということでした。

なぜそう思ったのか、それは、イスパニョーラ島を東西に分けて、西にあるハイチと、東にあるドミニカが、なぜこんなに発展が分かれてしまったのかを考えたときに、たどりつく結論です。

ハイチとドミニカでは、1人当たりのGDPが8倍も違います。気候や有している鉱物資源などは同じにもかかわらず、です。

ハイチは今年1月の地震で、23万人が亡くなり、300万人が被災しました。そして、各地に被災地キャンプができましたが、そこに、家も仕事もなくした人たちが押し寄せ、いまでも行き先を失っています。

ハイチの産業はコーヒー、砂糖、ラム酒、アパレルなどですが、国際競争力はあまりありません。農地は荒れたところかつ小作が多く、食糧自給もままならず、アメリカから大量の援助を受けています。

ハイチのあるイスパニケーラ島ははもともと、インディオ系のタノイ人が住んでいましたが、スペイン人の入植と侵略、それに病原菌により、一部の混血を除いてほとんどが死に絶えてしまいました。

そこにスペイン人、そして、島の東部をスペインの弱体化に合わせて占領したフランス人が、西アフリカから砂糖畑やコーヒー用の奴隷として多くの黒人を入植させ、現代に至っています。

ハイチに行って驚いたのは、そのほとんどの住人がアフリカ系であることです。しかも、風景自体はよりカリブ諸島のよりトロピカルな感じですので、サバンナなどに多い長身の黒人たちが、椰子の実の側を歩くのは、不思議な合成写真のようでした。

実際、島民は95%が黒人、5%がムラート(白人との混血)です。

ハイチは解放奴隷などが蜂起をして、1804年にフランスから独立するのですが、その後、以下のような政策が長く行われました。

1. 教育の機会を上層部に絞る
2. 黒人 vs ムラートのような、人種差別を助長する
3. 一部の富裕層が国の富を独占する

結果として、いまでも公立学校でカバーされる生徒は20%しかいないため識字率が実質30%台と低く、なかなか産業が育成されません。

また、黒人とムラートも、その時の政権によってどちらの方が優位だということがコロコロとかわり、自尊心をそぐ結果となっています。

そして現在も、4つくらいのファミリーが国の産業の大半を握っており、富が大きく偏在しています。

そのため、優秀でやる気があるハイチ人はどんどんアメリカなどに移住してしまいます。また、今回の地震のような形で家を失った人たちは、援助に頼るメンタリティがあり、なかなか自立をしようとはしません。

現地の識者に何が一番ハイチにかけているのか、尋ねたところ

「Respect」

という返事でした。自分に対しても、人に対しても、政府に対しても、相手を尊重する、という気持や習慣が育成されていないそうです。

一人一人のハイチの人たちはとても働き者で、親切で、人柄もおだやかです。ところが、それを上手に束ねて、ハイチの人一人一人の能力を最大限まで

「Develop」

するリーダーシップがありません。大統領も利権争いになり、コロコロとかわっています。

したがって、どんなに時間がかかろうとも、若年層の義務教育を徹底すること、各地のコミュティでリーダー層を育成すること、それにつきると感じました。

JENが提供する井戸は、子どもたちを水くみから解放させ、学校へやる手助けになります。衛生教育のために募ったコミュニティのボランティア・リーダーたちも、現在は衛生教育のみですが、これから、さまざまな分野に活躍の場を拡げてもらうことが可能でしょう。

そしてまだ、アイデアベースですが、アメリカなど各地に散ってしまったハイチの人たちをもう一度、故郷に呼び寄せることでリーダーシップを取ってもらうこともできると思います。

実際、私たちが直した井戸の地域で、NYでアーティストをしていたというハイチ人が帰ってきており、地元でリーダーシップを取っていました。

ハイチはとても美しい島ですが、街も、地方も、ゴミがあふれています。ゴミはゴミ箱へ、排泄はトイレで、水はたまり水ではなく井戸の水を飲むこと、この3つを徹底するだけでも、ものすごく、違った光景になることでしょう。

そして大事なことは、どうやってハイチの産業を育成するかということです。美しい山と海がありますから、ドミニカのように観光を振興することもできるでしょう。ただし、そのためにはインフラの強化が必要です。

また、競争力を失いつつある繊維産業を、もう一度、一人一人の能力を生かして再生することも考えられます。実際、街でさまざまな絵やアートが売られていましたが、これをうまく商用にのせることができれば、大きな付加価値が生まれるでしょう。

もうすぐ大統領選です。ほんの少数の候補者ですが、しっかりとハイチの将来を見据えた候補者もいるということです。

例外なくキラキラとした目を持った子どもたちが、大人になったときに仕事もなく、援助に頼るような生活にならないように、JENも、私たちも、そして、日本人・世界の人ひとりひとりが、なにができるのか、考え続けたいと思います。

なお、JENの寄付は下記で受け付けていますので、もし興味を持った方がいらっしゃったら、アクセスしてみてください。

実際、私はJENの視察に行くたびに、ほんの数日なのに、その気候やインフラの過酷さに、だいたい1度は気分を悪くして、吐いたり、熱射病になったりしていますので、そこで活動しているインターナショナル及びローカルスタッフのみなさんには、頭が下がる思いで一杯です。

ぜひとも、国際貢献ということ、そして、自立のための支援は何が必要なのか、この記事を読んで、考える機会にしていただけますと、幸いです。

JENのハイチ事務所のみなさま、視察同行の皆様、そしてChabo!の原資となっている読者のみなさま、ほんとうにありがとうございました。これからも、よろしくお願いします。

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